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2016年4月

2016年4月 2日 (土)

超対称性理論が危機って 何だろう 人間原理の物理学を超えたマルチバース論

 私の知識力では、理解の限界があり、閲覧されている方で、修正や説明を投稿してくだされば、大変嬉しいことです。

   http://1000ya.isis.ne.jp/1506.html

  上のURLは、ヒッグス粒子の予測がどうして認められたか。そうした疑問の説明がなされている。

 面白い表現で、物理学の世界で生きずまると、『無いものねだり』から出発して予測を立てたりすると書かれていたりする。

 

 

  先日、重力波が検出された、という快挙が報じられた。

 

 アメリカの国家予算が認められて進めた、重力波望遠鏡装置の精度のアップがあってからすぐに観測されていたそうだ。検証作業に多くの時間を掛けて間違いのない情報として世界に発表した。

 

 アメリカが は、国会の予算の審議で、嘗て、大型加速器の製作に、経済効果が疑問視され反対されてしまった過去がある。

 

 ところが、『欧州原子核研究機構(おうしゅうげんしかくけんきゅうきこう、CERN)』俄然注目を集めて、世紀の発見、『ヒッグス粒子』で世界の10億人がその瞬間の映像を見たという。このCERNの巨大加速器は、1兆円を超える額が使われたと言われている。

 

 日本の中小企業が、陽子を光の早さに加速するための電磁石のコイルの製作を担っている。その他にIHIなども製作に関わっているそうだ。

 

 そこで、ヒッグス粒子の発見がほぼ間違いない、とされた。

 

 標準理論の重力に関する最後の大発見であったそうだ。

 

 もう一つ忘れていました。ニュートリノに質量があることで、梶田さんのノーベル賞受賞がある。

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 上の図のクオークとレプトンという粒子が発見されていた。しかし、重さを持たないという条件での理論で、重力が無い場合は、これらの粒子は、光速で飛び回り、物質として纏まらない、という矛盾があった。

 

 その解決に、重さがある別の粒子を考える、という思考方法で、考えられたヒッグス粒子であった。

 

 私も理解できなかった、『ヒックス場』という重力の仕組み。

 

 それよりも、重大な物理学者の理論的な『分かれ道』にこのCERNのヒックス粒子発見を固唾を飲んで見守る多くの人がいた。

 

 超対称性粒子の発見と、ヒックス粒子の重さの問題であった。

 

 超対称性粒子は、上の標準理論の粒子が、鏡に映るようにそれぞれの素粒子が、対になって存在するということで、説明も発見もされていない、『ダークマター』や『ダークエネルギー』が説明可能ではないか、という説と、『マルチバース』という考え方に大きく影響を与えることになる。

 超対称性理論は、『反物質』が理論的に唱えられて、発見もされた。全ての素粒子に『反対の性質をもった粒子』が存在すると言う。

 この理論から、標準理論の素粒子の対称性に超対称性粒子が存在して、その粒子が、ダークマターや、ダークエネルギーの正体ではないかという理論から出発して、数学的理論構成であれば成立するとして長い間研究されてきたが、超対称性粒子はまだ見つかっていない。

 

 『マルチバース』となると、『カオス』の如き宇宙が沢山存在して、我々のいる宇宙は、偶然にできあがり、元の元の統一した簡潔で美しい理論が存在してはいない、となってしまう可能性があった。

 

 新しい素粒子の発見はもう無い、ということで、『超対称性粒子』の存在を追い求めてきた素粒子物理学の分野の研究が無に帰してしまうことになる。

 

 今回のCERNでのヒッグス粒子の重さが、重要になってきたわけである。超対称性理論では、ヒッグス粒子の重さも含めて、同じ粒子が対照的に存在するという理論で、宇宙の重力の総体的重力の和にヒッグス粒子が重すぎると破綻するという理論。

 

 重すぎる場合は、『マルチバース』になるらしい。その場合、偶然の産物の我々の宇宙という姿になる。多く存在する宇宙では、物質が存在していない宇宙もあるということになり、偶発的存在ということで、物理学的統一理論を求めたり、超対称性粒子の発見がなされない恐れが、出てくるのである。

 

 超対称性理論の物理学者は、心のどこかでもしかしたらという考えを持ちながら、進めてきた理論だそうだ。

 

 今度のCERNの陽子衝突実験では、何とも、このヒッグス粒子の重さが、超対称性理論も、マルチバース理論も崩れない、中間的な与えが示された。

 

 ヒッグス粒子は多分発見されるだろう、と予測していた物理学者が、問題視した大きなことは、そのヒッグス粒子の重さであった。

 

 重すぎると、超対称性理論は崩壊してしまう。しかし、そこまでの重さではないけれど、超対称性理論が成立しにくい重さではあった。

 

 CERNでは、超伝導磁石に使う冷却装置のヘリュームガスが漏れて、陽子を加速する部分の一部を破損してしまったので、修理してこの実験に望んだ。出力を落としての実験であった。

 

 今、出力を上げるための改修工事中である。改めて実験することで、実験成功率に 『Σ5』(5シグマと言って、その検出精度が、99.9999%というものが基準となっている) という精度を最高とする基準があるそうだ。

 2013年の今回の実験の二箇所では、両方が『Σ5』ではなかったそうで、新たに超対称性粒子が検出される可能性はまだあるようだ。

 

 理論は常に修復され続けてもいいはずである。

 

 

 

 

 そもそも、量子力学とアインシュタインの相対性理論を統一させて、万物に関する、『大統一理論』を創ろうとして、その統一ができないことで、沢山の物理学者が、苦労してきた。日本の南部博士は、この分野に大きな貢献をしている。

 

 ひも理論、幕理論などがある。

 

 量子論と相対性理論を統一しようとすると、数式に無限大という状態が出現してしまい、頓挫してしまう。

 

 また、電磁波では捉えられない、『ダークマター』、宇宙を加速膨張させている『ダークエネルギー』

 

 宇宙での力、『強い力』『弱い力』『電磁気力』

 

 重力の正体がすこしずつ解ってきてはいるが、重力の力が、なぜこんなに弱いのか、という疑問もある。

 

 重力とはなんであるか、と言う疑問も解決されないと、『暗黒物質・ダークマター』『暗黒エネルギー』も本当のいみでは説明できない。

 『統一理論も、対称性性理論も、超対称性理論も、美しい方程式で表現されるはずだ。』

 という

  また、ヒッグス粒子が見つかり、超対称性粒子が見つからなければ、場合いによっては、偶然に納まっている我々の宇宙が、いずれは壊れてしまうことにもなる。と言う理論も出てくるそうだ。

 ますます、宇宙を加速度的に膨張させているエネルギーの実態解明が待ち遠しい。宇宙の『重力』を含めての大きな『力』の解明が・・・・・・・。

 

 素粒子物理学者や宇宙物理学者の人達の拘りの世界がある。

 

 しかし、我々の住む宇宙での、加速度的拡大や、ダークマタの正体も解らない。私には数学的な公式は理解不能であるが、我々の住む宇宙の加速度的膨張に関する宇宙定数が、あまりにも小さすぎる、という疑問が科学者の間で困惑を来している。

 

 宇宙定数はもっと大きなはずだ、という考えがあり、もし、宇宙定数が大きければ、インフレーションで相転移してビックバーンで広がり、宇宙定数が大きれば、ダークマタの塊ができる暇もなく膨張が早く進み、物質の集合体ができずに、カオス状態の宇宙になる。という考え方がある。

 

 科学的な客観性に基づく宇宙物理学、というこの思考も人間であるからの思考方法という枠組みからは、とき放たれてはいない。

 

 人間特有の思考方法でしかない。人間であることで理論化して、実験で証明してきた素粒子物理学という大自然の仕組みを捉えて理論構成を希求してきた。

 そこに人間であるからという限られた宇宙観、自然物理学的世界観であると認識した場合、修正しつつ創造してきた宇宙論に常に残る様々な疑問は、人間の求めつづけてきた統一理論で宇宙は創られてはいないかもしれない。

 マルチバースは、こうした人間固有の思考の外に存在して、宇宙は、あらゆる偶然で成り立っている。人間の求める数学的な美しい理論では説明困難なものなのかも。

 ということで、マルチバースという考え方も登場しているわけであろう。

 ここに一神教的な神の存在を持ち出すことは絶対に避けたい。非情な非合理性が、生じることになるからだ。

 

 マルチバースの宇宙で、我々の宇宙は偶然に宇宙定数が小さくて、今の現実がある。

 『カオス』、或いは東洋的な表現である『混沌』に近いのが真実なのかもしれない。

 中国の2300年昔に書かれた『荘子』という書物にこの人間界を『混沌』と表現した思想が存在している。

 

 仏教用語で、『分別』という言葉がある。この言葉は、自然界を対称として、研究開発してゆくことを指すとすると、『分別』という言葉がある。『分別(科学的と思い込んで進めてきた世界観の原理)には限界がある』という考え方が仏教にはある。

 自然発生的に存在する人間と考える合理的な思考である。

 この地球の自然環境に即して存在する人間は、あるがままの自然観、『無分別地』として大自然と合して(ごうして)あるがままで、生きて行こうという思想である。

 『無分別地』とは、『分別』は、常に間違いを起こしたり、欲望に駆られた社会インフラの構築が破綻したり、戦争の具の発明に核兵器を創ったり、愚かな部分も存在し、その『分別で創ったものをコントロールできないでいる場合もある。

 こうした限りのある『分別』ではなく、欲望をできるだけ抑えて、心も身体も大自然に委ねて生きて行く。というのが『無分別地』という境地。

 

 我々の宇宙が、マルチバースであるならば、『混沌』とした宇宙が沢山あるということならば、超対称性粒子が見つからければ、ヒッグス粒子で、いずれ遠い将来、宇宙が壊れるのならば、『無分別地』の思想へと志向すべきかもしれない。

 我々は、科学的思考で全てが説明がつくと信じてきたし、科学的な発明品や、科学的に追求した結果の原発の地球上の自然エネルギーに絶えられず破壊されてしまった。

 そのフクシマの原発破壊の報道の中で、震度7の揺れでは破壊されていなかった。とされているが、これは、科学的な欺瞞であり、虚偽の報告である。

 原発ができてから、新潟地震、阪神淡路大震災、中越地震と大きな地震の経験から、耐震基準が変わる度に補強されてきた原発内部。

 当初の設計から補強物が沢山付けられて、諸々の安全装置の手動箇所が迷路のようになり、機能しなかった、という報道がなされた。

 津波での崩壊前に既に地震の揺れで、破壊されていたことが、初めは報道されていたが、報道規制されて、何時の間にかフクシマの原発は、津波による破壊が原因とされてしまった。他の原発再稼働に支障を来すために、原発関連の学者、経産省、経団連、政治の巨大な権力組織が、虚偽の報告を支持することになる。

 このことは、原発関連に関わるアメリカの圧力や多くの役人や企業や政治の力学が働いている。

 科学的であるという根拠で、安全とされてきた原発、核分裂、核融合、いずれも人類には制御不能であることは解っていたはずだが、過信と経済性で、安全装置がもっと幾重にも付けなければならないはずが、できない人間の限界を示している。

 人類生存の危機であっても、経済性を優先してしまう近視眼的思考の変更ができるかが問われている。

 科学という万能性を過信する人類。大自然の宇宙から生物誕生。人間の存在、『分別の限界』も勇気を持って知るべき時期にきているように思うが・・・・・・。

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